今までの、勘穂泉の舞台活動の記録です。
昭和45年10月11日 長唄「浅妻舟」 初めてかつらをつけ、舞台化粧をした舞台です。
昭和47年 4月23日
市穂美会にて 常磐津「三ツ面子守」(写真)を踊る。

子守がむずかる子をあやす為におかめ、えびす、ひょっとこを踊り分けて見せるという筋。
舞台に出てすぐつまづくのが踊りの振り・・・
実際、下駄を履いて駆けて出て行ったら滑って本当に転びそうになっちゃった。
ホント、焦ったぁ。
昭和48年 4月20日 藤菖会にて 長唄「鏡獅子」の胡蝶
昭和50年11月9日 市穂美会にて 長唄「連獅子」の親獅子、ちょんまげ姿もなかなかと自賛。
二曲目は筝曲「千鳥の曲」、すっきりとした姿が意外に好評でうれしい。
昭和59年2月18日 市穂美会 長唄「藤娘」 「浦島」
ちなみに、長女は長唄「羽根の禿」を踊る。
2月10日に誕生日を迎えたばかりの6歳の舞台経験。かつらが頭をしめつけて痛い!半ベソをかいた顔が忘れられない。
昭和62年8月2日

市穂美会 長唄「晒女」(写真) 

じゃじゃ馬娘の近江のお兼が取巻きを相手に、
あざやかに振るさらしが見所の踊り。


親子3人が稽古に費やす時間は膨大!!
長かった・・・。


親バカ番外 編
長女は小学4年生になり、
清元の「子守」
(写真)をかわいく踊る。

難しいとされる「綾棒使い」も子供にとっては
楽しいおもちゃ!
長男も日本舞踊に興味が出てきた。
6歳の幼稚園年長ながら、長唄「五郎」を熱演(写真)。
時が過ぎても“上手に踊ったね”と声をかけられる。

母子三人の共演の会がうれしいのはもちろん、
子供の舞台への称賛は勘穂泉としてでなく、
母として殊のほかうれしい。
 思い返せば、第三子の次男が踊り始めたのも
 6歳の幼稚園年長組の時だった。
 廿日会祭のおねりの上踊りで「うさぎ団子」(写真)を踊る。

 計らずも三人の子供が同じ年齢で踊りだしたのは、
 やはり親のDNAの為だろうか?
平成10年11月28日 芸術祭舞踊公演・翔の会にて 大和楽「花を恋い」を踊る。
静岡県日舞協会員として参加、流派の異なる人との共演は新鮮であり、勉強することも多い。
また、芸術祭舞踊部門ということで現代舞踊、クラシックバレー、日本舞踊の三部門の踊り手が競演する。
互いに見ること少ないジャンルの舞踊を一度に鑑賞できて、
出演者、観客にとって相互の理解を深める、とてもよい機会を得る。
平成11年9月12日 市穂美会にて 清元「流星」(写真)

七夕の夜に、流星が雷夫婦の喧嘩の様子を注進するという
ストーリー、親爺、女房、子供、婆の面を替えながら
踊り分けるのが決めて。

夫の転勤による転居から開放され、現在地で日本舞踊に
取り組もうとする心構えができてきた頃か。自分なりに
納得できる稽古ができた踊りだと思っている。
平成13年11月23日 歳末助け合い運動参加・日本舞踊の会にて 長唄「田舎巫女」
この踊りも面をつけて踊る。どうやら、私には潜在的に顔を隠したい意識があるようだ!
平成14年11月30日 芸術祭舞踊公演にて 「綾錦四季彩色 冬・雪」を踊る。
 県日舞協会員として参加。春、夏、秋、冬と四季の情景を踊り、最後は総踊りになる。
衣装は白、しんしんと降る雪が時にふぶき、やがて春の気配が・・・。4名の群舞構成。
平成17年2月26日 静岡市市民文化会館、藤間勘市女師を偲ぶ会にて「大原女」を踊る。    詳しくはこちら
平成18年2月19日 東京国立劇場、藤寿会にて「静と知盛」の舟子役を踊る。    詳しくはこちら
平成18年9月22日 浜松市浜ホール、静岡県芸術祭にて「ビバルディ 四季」を踊る。   詳しくはこちら
平成20年4月26日 あざれあにて市穂美会にて「さくら変奏曲」ほかを踊る。   詳しくはこちら
平成21年5月2日 東京国立劇場、籐寿会の舞踊会にて「京鹿子娘道成寺」の所化を踊る。   詳しくはこちら
平成21年11月1日 静岡市民文化会館、はばたくしずおか国文祭2009にて「駿河風流」を踊る。   詳しくはこちら